ゲームプレイの感想を総括しました。ネタバレあり。言いたいことを片っ端から書き連ねているので長いです(記事全体で約3万字)。
【2023年9月11日JST 最終更新】『バイオレット』感想・総括のリンクをはりました。誤字の修正を行ったり文言を整えたりしました。
『PokémonLEGENDSアルセウス』とは
タイトル 『Pokémon LEGENDS アルセウス』
発売日 2022年1月28日(金)
希望小売価格 6,578円(税込)
制作 株式会社ゲームフリーク
対応機種 Nintendo Switch
ジャンル アクションRPG出典:『Pokémon LEGENDS アルセウス』 | 『Pokémon LEGENDS アルセウス』公式サイト(閲覧2022年2月21日 JST)https://www.pokemon.co.jp/ex/legends_arceus/ja/lineup/210818_01/
タイトルに「ポケットモンスター」が付かない「ポケットモンスター」シリーズ*1の最新作です*2。タイトルだけでなく、ジャンルも「RPG」ではなく「アクションRPG」だったり、発売後に判明したケースが多くありますが、システムの仕様変更も多く行われており、意欲的で新しいポケモンのゲームになっています。
発売前から「これまでのシリーズとは違う」と思わせてくる要素は、タイトルやジャンル以外にもありました。例えばこれまでは『赤・緑』や『ソード・シールド(剣盾)』のような「内容を若干変えた2種類のゲームを最初に出す」手法ではなくなっていたり、発売時期が秋ではなく*3「1月」だったり、かなり"異例"が多い作品になっています。
プレイ日記一覧
ゲームをプレイしながら書き殴った進捗のメモの一覧はコチラ。この記事の感想文と過去記事の感想は、内容が被るところもあります。
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以下より具体的な感想です。
ゲームシステム
オープンワールド風エリア
『剣盾』では、カメラワークが固定の通常マップと、それとは別に「ワイルドエリア」という自由にカメラを動かすことができるエリアがありましたが、『アルセウス』ではついに全マップでの自由なカメラワークが実現しました。
「ワイルドエリア」のようなイメージで『アルセウス』に臨んだため、崖などの移動が思ったより自由度が高くて驚きました。序盤はアヤシシもオオニューラもいないので、主人公が手を使わず足だけで崖を登ろうとする様子にちょっと笑ったり。
回避のアクションはあるのもの、ジャンプのアクションはないため、小さな段差は気合いで上るか、ポケモンライドで登る必要があるのがちょっと面倒ですね。ウォーグルライドを入手してからは、移動はとりあえず全部ウォーグルに乗って飛ぶ→解除して落下が一番楽な移動かな、といった感じ。
ヒスイ地方は昔のシンオウがベースということですが、川の配置などはかなり自由に設計されている印象です。シンオウ地方のマップと比べて、結構ヒスイは川が点在しているなぁと思いました。
シンオウ地方はあれだけ複数の町が広がっていることを考えると、人間の開発によって居場所を奪われたポケモンがたくさんいそうですね…。シンオウに見当たらない川は埋め立てたのか、それともマップ上に見えないだけ(マップがデフォルメされている)で存在するんでしょうか。
ダイパリメイクは、今回のヒスイのようなリアル寄りのマップが期待されていたんだろうと思いますが、むしろドットベース(ドットだったオリジナルをほぼそのまま再現)だったからこそ自由なヒスイ地方のマップが作れたのかなとも思いました。シンオウ地方をリアルに作り替えた場合、ヒスイ地方との差異が明確になるため、ヒスイとの調整が必要になりますが、ドット絵時代のマップを再現するならその手間がなくなります。明らかに川が埋め立てられているのが分かっちゃうと、人間による自然開発の跡(ポケモンが生息していた場所に道路や建物を作った事実)がチラついちゃうもんね…。
カメラワークを自由に動かせるゲームは画面酔いが心配でしたが、プレイに大きな支障がでるほどには酔わなかったのでよかったです。
ただ、ビッパを探すサブ任務(いたずらビッパトリオ)のような、マップの中から何かを探すような動きはダメです…。めちゃくちゃ酔う…。あと、オオニューラの操作が酔いやすいなと感じました。崖を移動するとカメラがあちこちに揺れるのがムリ…。
ウォーグルでフィールド上を飛べるのは楽しかったです。ほどほどの高さから、下の様子を見るのが楽しい。ただ、1度飛んだあとに飛びながら上昇することができないのは謎。あと、どのくらいの高さから落ちるとダメージを受けるのかの感覚が難しいですね(時々ミスって死ぬ)。
自分の操作が下手で、ウォーグルで飛べるようになった後でも、崖から落ちて目の前が真っ暗になったのには笑いました。
「ワイルドエリア」の時も思いましたが、ミニマップはあったほうがいいと思います。てゆうかフツーならミニマップくらいあるでしょ…。次の目的地がフィールド上に示されたり、ピンをマップに刺せばそれをフィールド上で確認できるのはいいと思いますが、やはりそれとは別にミニマップは必要だと思います。いちいちマップを開くのは面倒だし、自分の居場所を知るにはミニマップが手軽だしわかりやすいです。特に、キッサキ神殿のような建物内は、実質マップ無しで移動する必要があり、いくら建物の作りが簡素だとしても、自分の位置や向かう方向がわかりにくくてストレスでした。
あと、コトブキムラにはモブキャラの住む家がたくさんありますが、扉から室内に入る度に画面の切り替わりが行われるのは面倒すぎ、シームレスに入れたほうがよかったです。家に入って話を聞きに行くのが手間です。せっかくムラの様子も進捗で変わるのに、移動するのが面倒であまりムラの様子を確認しなかったなぁと思いました。
アクション要素
ポケモンのメインシリーズは基本的な操作はすべてコマンド入力でしたが(ミニゲームを等除く)、今作は「アクションRPG」ということでその辺りの根本的な操作方針が変わりました。
発売前の感じでは、ポケモンの攻撃を避ける「回避」の動作が「アクション」として印象的でしたが、プレイした感じ、手持ちポケモンやモンスターボールなどの道具の選択にもある程度直感的な操作が求められているなと思いました。
フィールド上のアクションは、比較的優しい作りだなと感じました。メニュー画面を開けば一時停止状態にはなるし、普通に走ったりポケモンライドをすれば簡単にその場から離れられるし、手持ちのポケモンをぶつければ相手の主人公に向けて飛んでくる技は即中断するし、主人公のダメージは時間経過で回復するので、とりあえず進める分には気楽にできるなという印象です。
戦闘に出すポケモンや道具がLRで簡単に切り替えられるのはよいですね。メニューを開かなくても戦闘に最初に出すポケモンを変更できるのが楽ちんでよい。ただ道具の切り替え際、拾った道具がすべて切り替えリストに表示されるのは、使う予定のない道具まで表示されて、ちょっと邪魔で探しにくいなと思います。
やはり直感的な操作を求められると、焦って操作を間違えることもちょくちょくありますね。ポケモンを投げるつもりがボールを投げていたり、テンパって投げる道具を間違えるのはよくある…。でもしくじったらウォーグルで飛んで距離を取って気軽に再挑戦できるのでまあいいかな、といったところ。
フィールド上のそれとは別に、キング・クイーンなどのボス戦でもそれなりのアクション操作が求められますが、こちらはそこそこ難易度があったかなと思います。負けてもペナルティなく途中からやり直せるのは親切でいいなと思いますが、それを感じるくらいには何度も負けました…。
ポケモンバトルフェーズがあるためか、ほぼ休まず攻撃をしてくるので、コントローラーの寿命が縮まりそうでひやひやしました。そもそも既に、自分のコントローラーの挙動は少し怪しい部分はありますが…。
対人戦廃止により大きく変わったバトルシステム
ポケモンといえば、対戦ゲームとして有名な側面もありますが、その対戦ツール的な要素を最初から削ってほぼひとり用の遊びにしているのは、大胆な変化の1つだと思います。レート対戦がなかった『ピカブイ』ですら、フリー対戦はあったのに、『アルセウス』ではプレイヤー間での通信対戦がまったくできなくなりました。
メインシリーズのバトルは、メガ進化やZ技、ダイマックスといった、対人戦で使える要素による、対戦環境の変化が注目がされる側面もありました。これらの仕組みは通信対戦でも使える縛りのなかで生み出されたものでしたが、『アルセウス』では対人戦を排除したことにより、その縛りから自由になって新たなバトルの仕組みや要素を試せたんだろうな、というのが印象深いです。
発売前の段階では、「力業」「早業」が新要素なのかな、と思っていましたが、プレイしてみると新要素どころではなく、根本的なターンの進め方が変わっていてびっくりしました。
基本的にターン制なのは変わらないものの、ターンの経過方法がこれまでと異なり、毎ターン行動を決定して実行に移るのではなく、基本的に交互に動く仕組みになりました。「入れ替え」の仕様も変わったので、「死に出し」みたいな戦術ができなくなりました。
特に作中NPCとのバトルがかなり変わったなという印象です。レベル差によるすばやさと火力で毎ターン先攻してワンパンして勝つ、といったことができず、ほぼ交互にターンが経過するため、ダメージを受けることを避けるのが難しいですね。
これまでだったら、相手のポケモンを倒す→相手は次に○○を出すというのを確認→相性の良いポケモンに交代する、という流れでプレイヤーが有利にポケモンを交代できましたが、それが今作はできない…。NPCが、ポケモンが倒された後自身に有利なポケモンを出してきて逆に弱点を突かれてやられる、という流れがなかなか厳しいなと思いました。特に、戦闘終了時にひんしだと経験値が入らないみたいなので、やられながらも勝つというのもできれば避けたい気持ちに…。
育成のジレンマからの解放
一応攻略サイトを見て確認しましたが、いわゆる「努力値」「個体値」のシステムが今作では廃止されているんですね。 これにより、ストーリーにおけるポケモンの厳選は実質「性格」のみになってますね(性格もミントで後に補正可能)。
これにより、「旅パ」では強くなれないために、対戦用のポケモンは別に用意する、ということをする必要がなくなったのは大きいなと思います。ずっと一緒に旅をしたポケモンでも最強になれる…。「勝つためのポケモン」を新たに用意する必要がなくなったのはかなり画期的な変化だなと思います。
「努力値」がないおかげで、途中のメンバー交代も楽ですね。捕まえたばかりのポケモンでも、ちょっとじゃりとか与えれば即戦力になる。ただ、「一緒に長く旅をしたポケモンの方が強くなる」というのが無いのは少し寂しくもあります。
今回はなかなか旅パのメンバーが決まらず、結構頻繁にポケモンを入れ替えていましたが、それでも十分戦えました。覚えさせる技もコスト(ハートのうろことか)なく変更・入れ替え可能なので、その時のパーティに合わせて技構成を手軽にいじれるのもよかったです。
こう、気軽に技を変更できるようになって思うに、何でこれまでは4つしか覚えられない技の変更や、技を覚えさせる(タマゴわざとか)のに、あんなに手間暇かけてたんだろうという気持ちになりました。今までの葛藤や苦労はなんだったんだ…?別に手間がかかるのも、縛りプレイみたいでいいんですけど、よくよく考えてみれば、そこに時間をかけさせる必要ってなかったよね、と気付かされました。
「努力値」は、ポケモンがただの「データ」ではなく「個」であるという演出のひとつだったと思います。これが無いことで、ポケモンの「個」が薄れるかと思いきや、「個体差」的な要素はサイズの変化に引き継がれた感があります。
個体によるサイズの違いがグラフィックに反映されるポケモンといえば、バケッチャとパンプジンがいましたが、こちらはサイズによって種族値や図鑑説明が異なるので、この2ポケモンの十八番がなくなったわけではないのでよかった(?)ですね(そもそもバケッチャもパンプジンも『アルセウス』に登場しないが)。
大胆なオミットや変更
その他、これまでほぼ当たり前に続投していたシステムの多くが廃止・変更されました。「特性」「持ち物」「タマゴ」システムは廃止、状態異常は効果の内容がいろいろ変更されています。
オミットといえば、『ピカブイ』もシステム内容のオミットが多くありましたが、それ以上に変更点が多いので驚きました。『ピカブイ』も「ポケットモンスターシリーズ」の一員ではあるものの、『赤緑』をベースにしながらも「リメイク」とも異なる内容で異質でしたが、『アルセウス』もその方向性(セオリーからはずれた"メインシリーズ")があり、『ピカブイ』よりもさらに異質さを際立たせているなという印象です。
進化のタイミングが任意で選べたり(一定のレベルになっても勝手に進化演出が入らない)、(既に述べたが)技覚えも気楽にカスタムできるようになっているのにもびっくりしました。進化方法変更は、「もちもの」がない故の措置にも思いますが、これまでの仕様が当たり前すぎて、そこまで変更される可能性など考えてもみませんでした。
これらの変更のより、探索がスムーズに進むし、気楽に手持ちパーティの変更もできるので、普通に便利だと思います。「便利で強いポケモン」を用意するのに時間をかけなくていいよ、という気概を感じる。
根本的な遊びが違うので、新アイテムもいろいろ登場しました。そもそもフレンドリィショップがないので登場アイテムが違ってもOKですね。ヒスイに登場したアイテムがシンオウで見なくても、それらが存在しないという根拠にはならないし。
モンスターボールも「ヒスイ仕様」ですが、旧式と現代式で何が違うのか気になりますね。どんな経緯を経て、現代のモンスターボールのあの形になったんでしょうか。作中で分かる違いは、見た目と、ゲット前に揺れる回数と、原材料くらい?もしかして機械で量産できるようにしたのが現代版なのかな。
ところで、ポケモンをどんどん捕まえる遊びなのに、ポケモンボックスがこれまでと同様のデザインなのは何でですかね。『ピカブイ』や『ポケモンGO』と同じように、ボックスを分けず、自動で種類ごとに並び替えができたりするやつにすればよかったのに。ボックスを整理する作業がだいぶストレスです。
ポケモンが捕まえやすい
体感、ポケモンの捕獲率がかなり上がっているなと思いました。とりあえずボールを投げたらだいたい捕まえられる。最終進化系のポケモンも、背後から近づいたりすれば案外捕まる。
ほぼクリア後くらいにわかったんですが、主人公を見つけているポケモンに、ねばりだまなどでポケモンを「疲れさせる」と、隙が生まれて一時的にボールを投げられるようになるんですね。これにより、ポケモンから見つかった後でも、疲れさせる→背後に回ってボールを投げるという方法で何度もボールを投げられることに気付きました。これまでは、けむりだまで隠れながら背後に近づいたり、きのみでポケモンの立ち位置を調整して背後がらボールを投げるようにしており、ポケモンに見つかる度に離脱していましたが、見つかった後でもなんとかなるし、この時の立ち回りにアクションを求められるので、これがアクションRPGか、と思いました。
伝説ポケモンとの戦闘難易度調整が、捕まえやすさを低く設定するのではなく、バトルの内容(アクション要素強制)になっているのが印象的でした。
これまでの伝説戦は、きずぐすりとボールを大量に用意して、相性がよかったり耐久力のあるポケモンを出して回復しながら何個もボールを投げていましたが、その手間と時間が消えて楽になったなと思います。
ただ、アクションが苦手な人にとっては伝説戦の難易度が上がってキツいところかと思います。個人的には、ヒードラン相手に何度も死にかけたし、トルネロス系統はどのように攻略するのか最後まで理解できず、結局ライドポケモンでダメージをくらいながらも突っ込んで無理やりバトルに持ち込んでなんとか捕まえました…。どうやって近付いて何を投げればよかったのかは、未だわからずじまいです…。
ポケモン(原型)に関するもろもろ…
取捨選択された登場ポケモン(リストラ)
『アルセウス』発売後の現在、全国図鑑の図鑑番号数は900を越えていますが、『アルセウス』に登場したポケモンは242と、全体の3割も登場しません。とても少ない、厳選されたメンバーです…。
『アルセウス』に関しては、「メインシリーズ(ポケットモンスターシリーズ)」ではあるものの、全ポケモンが登場しなくとも納得のいく作品だと思います。なぜなら、他のメインシリーズとは明らかに毛色が異なる、挑戦的な作品だからです。
2019年発売の『剣盾』では、登場ポケモンが絞られる(いわゆる互換切り/リストラ)が、大きな批判を呼びました*4。これは、『剣盾』が、これまでのシリーズを引き継ぐ王道作品として認識されていた故の反応だったと思います。一方『アルセウス』は、「本当にこれをメインシリーズにカウントしていいのか…?」と迷うくらいには、これまでの作品とは一線を画しています。よって、ポケモンのリストラがあっても、それは「大きな変化のひとつ」として、割と前向きに受け容れられたように思います。
少なくとも個人的な印象としては、もし『剣盾』のリストラが存在せず、『アルセウス』で初めて「メインシリーズのリストラ」が発生していたとしても、『剣盾』の時のような大きな批判は起こらなかっただろうと思います。やはり『剣盾』でリストラしたのが本当に悪手すぎたなぁと改めて感じます。悪い英断は辛い…。
今でも、「新世代」においてすべてのポケモンと出会いたかったという気持ちはあります。その世界で存在できないポケモンがいるとかやっぱりあり得ないでしょ…。次の『スカーレット・バイオレット(SV)』がどうなるのかわかりませんが、今のところ全ポケモンは登場しそうにないので望み薄…。
『アルセウス』のDLCはあるのかなと思ってたら、あるにはありました(ヒスイの夜明け)が、ポケモンの追加はないし、『SV』が発表されたので、これ以上『アルセウス』に関して追加で何かすることはないんでしょうね。本当に一瞬の注目されるだけの起爆剤だった…。使い捨てられているようで悲しい。
もはやおなじみのリージョンフォーム ヒスイのすがた
7世代こと『サン・ムーン』から登場している「リージョンフォーム」は、ヒスイ地方にも採用されました。新ポケモンを増やさず、新たなポケモンとの出会いの経験を提供できる便利なシステムな上に、あくまで「過去の世界」であるヒスイ地方に「新ポケモン」がたくさんいたら、どんだけ時間経過でポケモンが絶滅してんの…という印象にもなりかねないので、そういう点でも相性がいいシステムだなと思います(リージョンの絶滅のほうが大したことないというわけではないです)。
最終的に登場したヒスイ地方のポケモンは、大半が「ヒスイのすがた」で、一部「既存のポケモンからの進化系」として「新ポケモン」が登場という形になりました。
御三家の最終進化系がリージョンフォームになるのは、大方の予想通りだったと思います。ディアルガとパルキアもオリジンフォルムが登場しましたね。でもパッケージ名になっているアルセウスの追加フォルムがないのはちょっと意外かも?何かノリで新フォルムを追加してきそうとか思ってましたが、アルセウスはあのままということなんですね。
フィールド上にいるポケモンとの出会いは、既存のポケモン相手だとしても、出会い方が違う分新鮮な気持ちで遊べましたが、やはり「見たことのないポケモン」との出会いには、これでしか味わえないものがあるので、ボス戦(キング・クイーン戦)が対ヒスイのすがたのポケモンなのはよかったんじゃないでしょうか。特別感も出るし。
個々のヒスイのすがたのポケモンに対して言いたい感想は色々あるんですが、全部書くと長くなるので割愛します。
一応、伝説のポケモンにだけ言及すると、ディアルガのオリジン、首にペットボトルが刺さった人*5みたいな首回りがまず目を引きました。
パルキアはケンタウロスっぽいなというのが第一印象です。オリジンじゃないほうのパルキアの肩に付いているパールっぽいやつが、オリジンの、ケンタウロスだったら人間の肩に当たる部分に付いているからでしょうか。足の形も馬っぽいかな。
どちらも、怖くていびつで神話っぽいですね。アニメか映画で動いているところをたくさん見たい~。オリジンフォルムの出番ってもうないんでしょうか…。
フィールド上を闊歩するポケモンがいるのはよい
『剣盾』のワイルドエリアなどでも野生のポケモンが歩いていたり、手持ちのポケモンを外に出して連れ歩いたりできました。『アルセウス』はさらにそれをパワーアップさせた感じがあります。
「連れ歩き」システム自体は、『ハートゴールド・ソールシルバー(HGSS)』の時からありますが、昨今の連れ歩きの良いところは、ポケモンのサイズ感がわかるところです。ドット絵の連れ歩きも可愛くて大好きですが、3DCGのこのメリットも大きい。図鑑のサイズ表記だと、どこの長さを測っているのかよくわからないポケモンもいたし、図鑑の高さ比べでも、見ることのできる視点は限られていたので、自由にフィールド上にポケモンや人間を並べられるのは楽しいです。
特に『アルセウス』では、個体ごとの大きさの違いが、フィールド上のサイズにも反映されているのはめちゃくちゃよいですね。デカいポケモンも小さいポケモンも、もちろん平均サイズのポケモンもかわいい…。元が小さめなポケモンが、オヤブンサイズになったときのネタ感や不気味さにテンションが上がります。
今作では、手持ちのポケモン全員を、ボールから出すことができるのは嬉しいですね。自パーティーのサイズ比較が容易になるのがいい。主人公の周りをポケモンで囲えるのも楽しいです。手持ちのポケモン達に格差を付けたくない派(6匹全員を同じくらい大切にしたい)としては、連れ歩きシステムの時は一匹ずつしか選べないのがネックでしたが、そこが解消されてよかったです。
ただ、過去作と比べてポケモンの存在感に関する解像度が上がったせいで、これまでは考えなくてもよかった部分についての再考が必要になっていると思いますが、そこが不十分なのではないかと思いました。例えば、ポケモンたちの何もないときの過ごし方についての設定ってあまり考えられてないよね、みたいなところ。
ポケモン図鑑などにおけるポケモンの説明は、基本的にわかりやすい特徴などが記載されていることが多いです。基本的なポケモンのイメージなどを理解することに関しては、それで十分だったと思いますが、『アルセウス』において「野生環境で過ごすポケモン」を描くには、日中をどのように過ごしているのかのスケジュール的な設定も考える必要があったのではないかと思います。
例えば、豚の場合は「生活の31%を探索や餌を探すことに使い、21%は穴を掘り、14%は散歩をし、横たわるのは6%」という習性を持つそうです*6。
翻って、マップ上をうろうろしているポケモン達は、一体何をしている状況を想定しているのでしょうか。どのポケモンも、なんかフラフラ歩いて過ごしているようにしか見えません。
もちろんこれがゲームであるという都合上、ゲーム性を成り立たせる必要もあるわけで、想定される生態をすべて再現するのは難しいというのはわかります。ただ、『アルセウス』に登場する野生のポケモンを見る限り、そもそも「日中の過ごし方」についての設定はあまり考えられていないように見受けられます。
個人的に、ポケモンの魅力はあくまで「生き物である」という点だと信じているので、そこをもっとちゃんと掘り下げてほしかったなと思いました。それぞれのポケモン達は、一日どのくらい眠るのか、食事にどのくらい時間をかけるのか、散歩するのが好きだったりする?普段は餌を探している時間が多いのかな?みたいな。
ゲーム性の確保と、生態の再現とのバランスは難しいとは思いますが、どうせ登場するポケモンを絞るなら、その辺りに時間をかけてもっと拘ってほしかったなと思いました。
ポケモンが怖いのが楽しい
発売前から、キャラクターのセリフとして「ポケモンは怖い(生き物である)」ということが強調されていました。そして実際プレイしてみて、ポケモンに対して"敵キャラ"的な恐怖や忌避感を感じる内容になっていると思います。
大半の野生のポケモン達が、主人公を見かけるとまず攻撃してくるのにびびりました。攻撃を受けるのは嫌なので、極力ポケモンを避けて移動したり、急いで通り抜けて無理やり戦闘を回避したり、結構必死に動き回るのがサバイバル感があって楽しいです。
これはあくまでポケモンのキャラクターデザインの話になりますが、過去のインタビューにて、デスマスとデスカーンのデザインについて、このようなことが言われています。
デスマスクや棺おけなど、ちょっと怖いものをモチーフにしているのですが、ただ怖いだけでなく、どこかに愛きょうがあるように気をつけています。ポケモンは全部仲間になる可能性があるので、「こいつとは友達になれない」と思われないようにしないと。
出典:ニンテンドードリーム2011年7月号別冊付録「ポケモン誕生秘話 総集編」, 徳間書店, 2011年5月, 29ページ
これは10年以上前のインタビューということで、今もこの考えを持っているのかはわかりませんが、「見つかったら問答無用で攻撃してくる存在」とでも、「友達になれそう」だと思ってもらえるだろう、というように認識をゲーフリが持っているという事でしょうか。
それとも、そのような「怖いと思われている存在(実際はそこまで怖くなく、仲良くできることがわかっている)」とも仲良くできる特別な人間(主人公)的な優越感を得られるからそうしたというのもありそう?
「ポケモンが怖い存在である」というのは、『アルセウス』で初めて言及されたわけではなく、メタ的には初代の印象に近いんだよなぁというのを思い出しました。
「ポケモン 赤・緑」のころは「ポケモンが出た!怖い!」と思わせるダークなイメージなのですが、「ポケモン ダイヤモンド・パール」のころからは、暗くて怖い曲は少なくなったんじゃないかな。
歩いているときに、急に草むらから野生のポケモンが飛び出してくるのって、実際に起きたら結構怖いですよね。だから、音楽でもその怖さを表現していたんです。
モンスターというよりも「親しみある仲間」という、意識の変化に合わせて音楽も変化したわけです。
出典:『ポケモン赤・緑 スーパーミュージック・コレクション』 発売元:ポケモン 販売元:オーバーラップ, 2016年4月27日, ブックレット13p
ポケモンの「怖さ」は、「急にくさむらから飛び出してくる存在」から「主人公に攻撃してくる存在」に変化しましたが、「野生動物的な怖さ」は当初のイメージなんだろうなと思います。
「ポケモンは仲間になる可能性があるから、あまり嫌悪感を煽らないように描写しないと」的な縛り(があったと仮定しています)は、「キャラクター」を描く上では大切なことだと思いますが、「ポケモン」を描く上ではある種の足かせでもあったと思うので、今作で「ポケモンが人間に嫌われるような行動をする」ことができたのは、喜ばしいことだと思います。
なぜなら、ポケモンは生き物である以上、常に人間にとって都合の良い存在であるわけがないからです。ポケモンにもそれぞれ人格があり、意志や感情があるのだから、人間にとって不都合で不快な行動がある状態こそが当たり前であるハズです。
みんな主人公たちのことが好きでいつも機嫌がよくニコニコしていて、怒っている姿もかわいい動作のひとつとして消費されるような存在であるよりも、人間(プレイヤー)にとって時に受け容れがたく不愉快な行動をしてくれてこそ、ポケモンの人格が深まると思うので、このような方向の描写について、もっと深く掘り下げてほしいなと思いました。
あと、そもそも「ポケモンに襲われる」という経験自体が楽しいですね。ポケモンたちが、他ならぬ自分(主人公)のことを認識して向かってきてくれるのが嬉しいんだと思います。
これまではずっと、主人公のポケモンVS野生のポケモンという感じで、主人公たち人間はある種、蚊帳の外的なところがありました。それが、主人公に対してポケモンが技を使い、それを避けたりできる経験が生まれ、ポケモンとの認識的な距離がぐっと近くなった気がします。
これまでは、アニメや漫画などの派生作品において、人間キャラがポケモンから技をくらうシーンはよくありましたが、それをゲーム内で再現できる日がくるとは…!ゲームの世界でも、描写されていないだけで野生のポケモンから襲われて逃げることはめずらしくない経験なのかもしれませんが、ゲームのシステムとしてそれが表現されるようになったのはよかったなと思います。
結局、「主人公が対峙できる」ポケモンが、自分の手持ちポケモンだけ(パルレやキャンプみたいなやつ)でなく、野生のポケモンにも広がった点が、この対ポケモンアクションのもたらした大きな変化だったと思いました。
今回の旅パ
旅パは毎回基本的に、その作品で初登場するポケモンだけでパーティーを組みたい派です。ということで、ほぼヒスイのポケモンで、最終的なパーティは、ダイケンキ(ヒスイのすがた)・オオニューラ・ガチグマ・ウインディ(ヒスイのすがた)・マルマイン(ヒスイのすがた)・ウォーグル(ヒスイ)になりました。
育成のシステムがこれまでと違うのと、「ヒスイ地方の新ポケモン」の数がかなり少ないのも相まって、途中でのパーティの入れ替えがかなり多かったです。「新ポケモンだけでパーティを組みたい」縛りを途中であきらめるかと思った時期もありました…。
特にガチグマは、攻略サイトを見るまで進化方法がわからず、ずっとリングマをジェネリックガチグマとしてカウントしていました。フィールドの月の状態とかフツー気にしないでしょ…。名前の「ガチ」も、「本気で」みたいな意味の方の「ガチ」の印象をまず抱くので、『サンムーン』の「がちりん(月輪)のみずうみ」のような意味の「がち」だとは、言われれば成る程とは思うけど、ちょっと難しいかなと思いました。
また喋るポケモンが増えてしまって悲しい…
バドレックスで大丈夫だと思ったのかな?*7自分は大丈夫じゃないです。
そもそも「人間の言葉を話すポケモン」は、昔から色々いるのは知っています。TVアニメのニャースを初め、ゲームの『ポケパーク』や『不思議のダンジョン』シリーズとか。それらはひっくるめて「スピンオフ」なので、とりあえずまあよしとします。
でも「メインシリーズ(ポケットモンスターシリーズ)」で「人間の言葉を話すポケモン」を出すのは、もっと慎重になってほしかった、というか出さないでほしい派です(今更のようだが何度でも繰り返し言い続けます)。
まずアルセウスが話しちゃうと、急に世界が狭くなるというか、本当に神様みたいにしちゃっていいの?という感じ。エムリットたちも話していてかなりゲンナリしました。あくまでうやむやにしてほしかったです。ポケモンが人間に、人間の言葉で話しかけるのは、あまりに人間を特別視しすぎだと思います。
なぜ、何かしら役割を与えられたりするのが他ならぬ人間になるのか。「人間がプレイするゲームだから」というメタ的な事情もあるかとは思いますが、そのような「人間特別扱い」をあまりに自明視しすぎていないか、今一度客観的に考え直してほしいところです。
「ポケモンが人間の言葉を話す」ことの何が嫌って、何でもかんでも自分たち人間の理解できる範疇に収めようとするところがダメだと思います。現時点での個人的な解釈としては、「ポケモンにも言葉や言葉によるコミュニケーションはある」派です。ただ「ポケモンの言葉≠人間の言葉」であり、ポケモンの言葉は人間の言葉で再現や理解の及ばない部分も多くあると思っています。
大まかな感情、嬉しいとか悲しいとか、そういうのを表す言葉は、多くのポケモンが持っていそうな一方、UMAたち*8が主人公に問いかけるような具体的で精密な言葉は、わざわざポケモン達が人間に合わせてそんな言葉を用意してくれるか??という疑問がつきません。メタ的にしょうがないとしても、ぶっちゃけナシだと思う。喋らせない方向で話を成立させる方法を考えてほしかった。
だいたい、ポケモンが流暢な人間の言葉を話せる(そのように翻訳できる)ということは、ポケモンの言語は人間の言語と同様の構造や内容を持っているということになると思いますが、それって人間の言語を普遍化しすぎでは?と思います。「想像力が足りないよ」案件です。「ポケモンの言語が、人間の言語とは全く異なる性質や語彙を持っていて、人間に理解可能な範囲に翻訳できないという可能性」を持てないの、非人間生物のフィクションを描く空想力の敗北って感じですね。
あと「ポケモンが人間の言葉を学んで使っている」と仮定しても、「そもそも何が目的で人間の言葉を使えるようにするんだ」という問題があるので、この説も無理がある。
ギラティナがかわいいかった
今作のMVPはギラティナかな?と思うくらいには裏ボスのギラティナがかわいかったです。何がよかったって、最後に主人公に負けて勝手に逃げちゃうところ。良~お前カワイイな…。とテンションが上がりました。
ギラティナ周りは、ウォロとの関係性が良かったと思います。主人公対ウォロの戦いでウォロが負けた後、ギラティナが背後から現れてそのまま連戦になりますが、この時ギラティナがウォロに味方したのは、ギラティナがウォロとある種の協力関係を結んでいたためらしいと、ウォロのセリフ(「オマエがアルセウスに挑むというから力を貸してやったというのに!」等)からわかります。
このようなポケモンと人間の利害の一致による共闘という流れは、これまでほとんどなかった展開なのでは?と新鮮に映りました。ぶっちゃけ「ポケモンと人間の絆で強くなる!」みないな、主人公たち味方サイドよりも、このギラティナとウォロの共闘関係の方が、対等で公平で理想的な関係性なのではと思いました。特に、ギラティナが負けたら逃げちゃうところ。ギラティナの人格や意志が感じられてめちゃくちゃよいです。ウォロの意図や目的とは別にギラティナ自身にも人格が有り、ギラティナ自身の判断で戦いに参戦したり逃走したりしているの、めっちゃよくないですか…。誰かの付属で動くのではなく、その場にいる"個"として、主人公・ウォロ・ギラティナの三者があそこで対峙していたんだなと強く感じました。
ここからは「フツーのトレーナーとポケモン」に関する問題提起的な話になりますが、これまで描かれていた「手持ちポケモン」たちには、ポケモン自身の意志がかなりぼかされているのがモヤモヤポイントだったと思います。
まず、従来のポケモンバトル関連において、他ならぬポケモン自身が「ポケモン勝負で勝ちたい」という動機を持つ根拠がまともに示されていないという問題があると思います。ポケモントレーナー側には、ポケモン勝負で勝つことへのモチベーションがあります。例えば、「強いトレーナー」として認められる「名誉」だったり、お金が手に入ったりなど(お金はメタ的な要素感が強い気もするが)です。
一方ポケモン側としては、「強いポケモン」として認められる名誉が、当のポケモン達の戦いのモチベーションになるかというと、それをモチベにするのは難しいのではと思います。「人間からの賛称の言葉や表彰」って、果たしてポケモン達にとって、体を張って全力で戦うだけの価値ってありますか??
「勝つとおいしいご飯が食べられる」「勝つと安全安心な暮らしができる」みたいな欲望を動機にすると、生存やウェルビーイングを人質にして戦わせることになり、それって"悪い奴ら"がやることじゃん…となってしまうので、これもナシですね。
一応「自分の好きな人間が喜ぶのが嬉しい」というモチベを考えることはできると思います。でもそれは、目の前のバトルに勝つことに対するモチベではないですよね。「私が○○をしたら△△が喜ぶから○○を頑張ろう」というのと、「私は○○を頑張りたい。なぜならそれ自身が私の利益になるから」では、状況が違いすぎると思います。
話を戻すと、今作のギラティナには、他ならぬギラティナ自身に「そのポケモン勝負に勝つ」ということへの動機が存在するらしいのが、めちゃくちゃよかったところです。ポケモンが、他者(人間)のためではなく戦うのがよい。
「ポケモン勝負」が誤魔化している問題点のひとつが、人間のために戦うポケモンばかりで、自分のために戦うポケモンはほぼいない(野生のポケモンくらい?)ことなのかなということに気付きました。そして、「人間のために戦うポケモンとトレーナーの絆」を素晴らしいものとして扱う現状がそもそも解釈違いなんだなということがわかりました。
今回のギラティナについて考えている中で、「(作品としての)ポケモンは、ポケモン(原型)が存在することが素晴らしく魅力的なのであり、人間キャラはオマケ程度でいてもいなくてもどちらでもいい」というのが、自分がポケモンに抱く感覚であるということを思い出せました。つまり、よくあるポケモンの描かれ方が、人間との関わりによるエピソードばかりじゃね?というのが割と不満だったということです。
ポケモンは、人間と関わらずとも、人間のあずかり知らぬどこかであっても、その世界にはポケモンが生きているというだけで素晴らしい(価値がある)というのが魅力的なんだと思います。存在が独立できてる感じ。例えば、妖怪のような非人間キャラクターは、人の生活や習慣に根付いた由来や特徴を持っていて、ある意味人間に依存している感じがあります。容姿も人型に近いデザインが多いし。一方ポケモンは、非人間動物がベースになっているケースが多いです。妖怪とか妖精とか、非人間キャラクターは創作上にたくさんいますが、その中でもポケモンが代えがたい存在として魅力的なのは、この人間との関わりの薄さ(薄くても成立するところ)にあるんだろうなと解釈しています。
その点最近の「メガシンカ」や「Z技」は、「トレーナーとの絆」をメインに捉えているところが、ちょっと違うな…という違和感になっているんだなと自分の中で腑に落ちました。『BW』で「ポケモンと人間との関係性について問い直すぞ~」みたいなストーリーを予告していたのに、結局そこの答えや結論をうやむやにされたまま、次作で「ポケモンと人間の絆は素晴らしい!(強くなるし)」みたいな展開を続けられたのが不満だったんだなぁ…(しみじみ)。
一応アニメだと、ポケモンと人間にとって共通の敵に対して一緒に立ち向かうという展開自体はままあったかなとは思いますが、それと今作のギラティナは、やはりちょっと違うものを感じました。ただ、まだうまく言語化できないので保留にします。なんかたぶん、アニメとかでの共闘は、先に「悪いヤツ」がいて、それに応対するという流れによって発生する受動的な戦闘意志なのに対し、ギラティナとウォロは自身の利己的な欲求(ギラティナの詳細な動機は不明だが)による共闘なのがよかったのかな、というのが現在の見解です。
何かもっと、勝手気ままな行動をするポケモンをもっと見たいな…と思いました。人間に助けられてお礼をするポケモン、みたいな話ばかりではなく、「なんか知らんが(人間のおかげで)助かった!ラッキー!そいじゃさよなら~」みたいな態度のポケモン、いっぱいいても良いでしょ?(人間から見たら)利己的で、意味不明で、不都合な行動をするポケモンの話が見たいですね!世間様の需要は知りませんが。
人間キャラ全般に関する感想とか
歴代キャラのそっくりさんが多数登場
「ヒスイ地方」は、歴代シリーズの世界よりずっと過去の時代を舞台にしているということで、既存シリーズに登場したキャラのそっくりさんがいろいろ登場しています。
公式サイト曰く、似ているキャラは元キャラの先祖に当たる*9そうですが、個人的にはこの辺りの繋がりをぼかしてもいいんじゃないかと思いました。
「他人のそら似」とか、「遠い親戚(そのキャラの兄弟の子孫的な)」みたいな可能性を捨てたくないです…。そもそも「子孫が居る」ということはすなわち、「血縁の子供が居る」ということを意味すると思いますが、どのキャラも誰かの先祖だと仮定すると、その「血縁の子供を作る選択をした」という事実があまりに自然化・透明化されすぎていると思います(無自覚なヘテロノーマティビティ)。
「そっくりさんキャラは皆既存キャラの先祖」という前提があるとすると、「そのキャラは、本当に血縁の子供を作るような人物なのか?」という疑問を呈する余白を塗りつぶすような、暴力的なことだと思います。仮に時代背景が、現実世界を反映させた強制皆婚時代だったと仮定しても、それでもその人の人格に基づいて、子供を作らない結果にいたる人物も少なからずいるはすです。
幸い、先祖であることを言及されているのは、公式サイトによるデンボクとナナカマド博士くらいなもので、他は「先祖ではない可能性」を考える余地があるのはよかったです。作中でその繋がりが明示されるようなこともなかったと思うし(明示しようがないというのはある)。
異世界転生されるみなさん
ゲーム冒頭で、主人公が現代人っぽい描写がなされたの、事前情報にもなくひた隠しにされていたし、ゲームのつかみとしての衝撃があってよかったですね。過去作にも、異世界から飛ばされたキャラは多数登場していますが、まさか主人公がそれに巻き込まれることになるとは…。
主人公は異世界転生した一方、他のヒスイのキャラは、見覚えのあるそっくりさんご先祖(?)として、誰に似ているか考えながらキャラを見ていましたが、まさかもうひとり時空間すっ飛ばされキャラが登場するとは、まったく予想していませんでした。ノボリがここで登場するとは誰が予測できたのか…。
最初出てきたとき、予想外すぎて笑いましたが、サブマス好きな人達はクダリと生き別れになったことを悲しんでいるそうですね…。自分的には、何か出番があってよかったね~くらいの気持ちで見てましたが、言われてみれば双子が引き離されるし、ノボリが現代に戻るようなことでもない限り、クダリと再会する可能性はなさそうですね…。
あとノボリしか登場してないのに、しばらくノボリのことをサブマスって呼んでてすみませんでした…。人間キャラへの認識が雑なので…。サブマス自体は普通に好きです。何であんなに人気が出たのかは未だに理解できませんが...。
主人公にボイスついたね
初代から、ポケモン(原型)にはずっとボイス(なきごえ)がついていましたが、人間キャラにボイスがつくのは今作が初めてですね。声と言っても、攻撃されたときの「うっ」とか「あっ」みたいなのだけですが…。
ポケモンのグラフィックがドット絵じゃなくなり、キャラクターたちが喋るシーンが鮮明に描かれることになりました。『剣盾』でもそうでしたが、キャラがなにか喋っているシーンの動きは既に口パク状態ではあるんですよね。
いずれボイスがつくとしたら、例えばイベントシーンだけ喋るみたいなことになりそうかな…?もしこの先ゲームメインシリーズにボイスが実装されるようなことがあれば、「メディアミックスにのみボイス実装」の現状に大きな衝撃が走ることになるので、慎重になりそうかなという印象が個人的にあります。
なにせ、メディアミックスにおけるキャストが、その媒体によってしょっちゅう変わっていて、同一キャラに声帯が3・4個あるとかがザラにありますからね…。(ほぼ)同じ見た目・名前のキャラでも、そのキャストがテレビアニメでは○○さん、短編オリジナルアニメでは△△さん、『ポケモンマスターズEX』では✕✕さん、みたいなのがフツーな感じですよね。上記のモノはあくまで、すべて原作から派生した作品なので、たとえ毎回声が違っていても、自分は問題なく受けとっていました。しかし、もし原作にキャストが決まるとなると、他のメディアでもそれに合わせるのか…?という葛藤が生まれると思うので、その辺りどうなるのかな、とちょっと心配になります。すでにキャスティングされた人が兼役をやっても別にいいとは思いますが…(昔のアニメは兼役多かったらしいし)。
そもそも、次回作の『SV』でも、ボイスが付きそうな感じは見受けられないわけですが…。かなり気が早いというか勝手な想像にすぎないんですが、もしかしたら今後、実装される可能性は十分あり得る要素なので、今のうちから覚悟しておこうと思います。
キャラの肌の色とか名前とか
ずっと前からお馴染みになっていますが、一応指摘しておきます。今作でも、主人公の性別を選ばせる選択肢はなく、複数の肌の色を含んだ「すがた」を選べる仕様になっているのはよいと思います。
主人公以外の登場人物も、モブキャラ含めて黄色一辺倒ではない肌の色が設定されているのもよいと思います。ただ、前からずっと同じことを言っていますが、もっと良くできる改善点は沢山あるので、これで満足していないで、さらに進化していってほしいと思います。
例えば、主人公の着せ替えは、性別で微妙にデザインを変える*10のをやめて、どの「すがた」を最初に選んでも、それによって選べる服装のデザインに縛りをつけるのをやめてほしいです。具体的には『どうぶつの森』みたいな感じ。『SV』の主人公の服装が、"男女"同一になっているようなので、着せ替えのラインナップも解放されていてほしいところ。
余談ですが、女性(に見える)キャラの名前に「カイ」や「ショウ」という、一般的に男性につけられるような名前になっていますが、もしこれが"流行の""ジェンダーレス"的なのを意識してるのだとすれば、勘違いも良いところよな、というのは念のためメモしておきます。
継続されるヘテロ特別待遇が残念
肌の色や「見た目」などは、以前から工夫されているところで、それを続けているのはいいと思うんですが、それ以外の進化が何も見られないのが残念に思います。まだまだ改善の余地はあるのに、上記の工夫だけで何か満足感を得てしまっている感じがします。
細かく指摘を始めると切りが無いんですが、SOGIに関して言うと、またヘテロだけ出すんかい、という問題があります。具体的にはガラナとススキの件です。恋愛的な好意の描写がありましたが、コレ別に男女でやる必然性はないですよね。普通にポケモンのゲームで遊んでいたのに、唐突にヘテロ恋愛要素がねじ込まれて困惑しました…。こっちは男女カップルストーリーが見たくてポケモンを遊んでいるわけじゃないんだが??
もしカップルを出すなら、女女か男男のカップルでやってほしかったですね。「敵対する団に所属する二人が実はこっそり惹かれていた」という部分は既に十分あるあるな展開なわけだし、同姓カップルでやっても何の問題もないですよね。
もちろん、ゲームプレイヤー側のモラルが圧倒的に足りてない問題はあると思います。フツーに同性カップルを出したら「公式が病気ww」などと茶化してネタにしようとする人間が大勢湧くだろうというのは想像に難くないです。ただ、それを理由に異性愛至上主義の再生産を続けるのなら、「売れるためなら何をしてもいい」という態度であり、企業モラルとして問題があると思います。
ポケモンは既に巨大なコンテンツなんだし、むしろ率先して「異性愛者以外も当たり前に存在する世界」を描く責任があると思います。同性カップルが登場したくらいで、ポケモンがキセイに屈した、と怒るような異性愛至上主義思想の人間からの応援は結構です、くらいの強気でいてほしいです。わざわざ「異性愛者しかいない世界」を描かないと文句を言う人間に好かれて応援されるような作品であってほしくないと思います。
ゲーフリはSOGIについて勉強して、シスヘテロしか存在しない世界を描き続けていることを自覚して、それを変えていってほしいです。
ストーリー周り
初っぱなから衝撃展開で引き込まれてよかった
物語冒頭、まさかの異世界転生スタートで笑いました。この情報を伏せておいてくれてよかった。発売前は、昔の時代が舞台なのにアルセウスフォンって何よ、と面白がっていたら、それがこの始まりの伏線だったとは…。
未知の世界にひとりほっぽり出されて前途多難になる主人公、もそかして歴代主人公の中で一番大変な思いをしていることになるのでは?アクションのあるゲームシステムも相まって、主人公の苦労人感がすごい…。
現実世界の昔の時代を参考にしているからか、現代では未成年の子供にあたる年齢だと推定される主人公が、ヒスイの時代では大人として扱われているのも、主人公周りの環境が厳しいと感じる所以になっているのかなと思いました。前世代の『剣盾』において主人公は、大人から保護される存在としての子供であることが何度も強調されていたので、余計にそのギャップを感じます。
イチョウ商会を疑ってすみません
ポケモンの敵キャラは、何かしらの団体で活動していることが多かった*11ので、今作では名前の挙がっている「イチョウ商会」が怪しいのかな…と思っていたら、商会は完全に無罪でした。
発売前情報で、「イチョウ商会」としてギンナンとウォロを紹介したのは、意図的な情報操作でよかったですね…。実際のゲームをプレイしてもイチョウ商会はフツーに商売をしている一方、逆にウォロは碌に仕事をしている様子もなくたびたび主人公に絡んでくるので困惑しましたが、ウォロ単体で黒幕ということで納得しました。
この辺りのミスリーディングはかなり意識して行われていたと思いますが、こういう取り組みは好きです。発売前にどのような情報を出すか・出さないか、どのように紹介するのかを、注目を浴びるという点だけでなく、実際にプレイしたときの驚きなども考慮してくれているのは良いと思います。
ストーリーボス・キング&クイーン戦
これまでの「メインシリーズ」では、「8つのジムバッジを集める」ことが、ストーリーの軸としてありました。そのため、最新作をプレイする際でも、バッジの数でストーリー進捗の状況を推測できましたが、『アルセウス』ではそのような基準が存在しなかったため、先の見えないワクワク感があったように思いました。
どこが大きな山場なのかも、遊びながらつかんでいく感じだったと思います。レポート画面に表示される、既に戦ったキング・クイーンのスタンプの表記から、合計5つのボス戦があるんだな…と察したりとか。
「メインシリーズ」ではお馴染みの「ポケモンリーグ」も『アルセウス』には存在しないので、どのような終わりかたをするんだろうという部分もドキドキでした。
キング・クイーン戦のアクションは、攻撃の方法にそれぞれ特色があって、攻略のコツややり方を踏襲すればクリアできる感じだったと思います。
足場が狭くてイライラしたりとか、初見で避けられなかったりとかもありましたが、ゲージ引き継ぎシステムもあり、アクションが下手でもある程度なんとかなるような救済措置があったのもよかったと思います。
話が少し変わりますが、5回あるボス戦のうち、4つが「キング」で1つだけ「クイーン」ってどうなのよ…と思いました。唯一の「クイーン」が、メスしか確認されていないドレディアで、それ以外は「性別不明」のマルマインを含めて「キング」なの、「男」こそが「標準」であるという、今の社会に蔓延る不当な前提の再生産にほかならないでしょ…。
この場合、性別イメージのない別の言葉に置き換えるとか、全員「キング」で統一したうえで肝心のポケモンたちの性別をメス設定にする、くらいのことをしてもよかったのではと思います。それか、5体中4体を「クイーン」にするとかさ…。そこらへん、いまだに気が回らないんですかねゲーフリさん…。
バトル自体の難易度が高めだった?
今作のバトルは、トレーナー戦でも1対複数のバトルがあり、やや難易度が高いような気がしました。そもそもバトル以外を主軸に置いたゲーム設定になっているのもあってか、バトルに関するチュートリアルが少なめだったように思います。
過去作をイロイロプレイしているプレイヤーにとっては、細かい仕様の変更こそあれ、染み付いたポケモンバトルのセオリーをもってすれば比較的容易に対応できたと思います。
ただ、これまであまりポケモンをプレイしたことがない人や最後にプレイしてから時間が空いている人、初めてプレイするような初心者にとっては、この内容で難しくなかったかな?と不安に思いました。
状態異常や天候の説明とかってあったかな??「メインシリーズ」においては、「トレーナーズスクール」のように、ゲーム攻略のコツやヒントを押してえくれるNPCが配置されていましたが、そのようなヒントが今作では少なかった気がします。
一番びっくりしたのは、裏ボス戦がなかなかにキツかったところです。まさかの3連戦って…。ギラティナがフォルムチェンジできるポケモンであることはもちろん知っていましたが、一度倒した後、姿を変えて2戦目とかいう、RPGのラスボスみたいなことをやってくるとは夢にも思いませんでした。
ウォロ戦終わった時点で手持ちの半分はひんし状態だったし、げんきのかたまりも3個しか持ってきてなかったのでだいぶヤバかったです。なんとか勝ったけど。
主人公もポケモンも、存在が認められる過程が描かれている?
「現代では人間の生活圏で多くのポケモンが暮らしているにもかかわらず怖い生き物として恐れられていたポケモン」と、「どうやら"現代"からヒスイ地方(過去)へ飛ばされ、洋服を着てスマホを持ちボールの扱いが謎に上手い主人公」は、共に「未知の存在」として扱われているという点で、重ねて考えられてるように思いました。
この二つの存在が、物語を通してその能力や有用性が示されていき、人間もといヒスイの人々から仲間として認められていく過程が描かれているのが、今作の大まかなストーリー構成になっているように感じました。
上記の内容が今作において意図されていると前提して、言いたいことややりたいことはわかるし伝わったと思います。ただその終わり方が「認められてよかったね!」的なところで終わったのが残念だったなと思います。
そもそもの話、ポケモンも主人公も、「誰にも認められずとも生きていてよい」というのが、あくまで理想の上ですが、大前提としてあるはずです。なんの取り柄もなくとも、他者危害的な行動さえしなければ、皆自由に生きていていいはずです。
なんというか、制作側(ゲーフリ)に、そのような考え方がなかったのかな、という印象を受けました。「この世で生きていくには、能力や有用性を示していかなければならないのだ」を「そういうもの」としてそのまま肯定している態度が見え透いた感じがします。
現実が「そうである」ということと、「そうあるべき」というのは別にあるわけで、現実は「そう」だとしても、それとは別の「こうあるべき理想」の語りを、少しでも見せてほしかったです。
具体的には「今回は主人公が"有能"だったから、ヒスイのコミュニティに受け入れることができたが、いずれは主人公が"無能"であっても、それを受け入れるコミュニティを目指したい」みたいなことを誰かが言ってくれるだけで、だいぶ印象が変わったのになと思います。やはりそこらへんの倫理観をゲーフリに求めるのは無理ゲーですかね…。
ポケモンとの向き合い方が極端すぎません…?
今作における「ポケモンとの向き合い方」なんですが、そのあり方が「恐怖対象」か「親密な身内」の2択になっているようでイマイチだなと思いました。なんかもっとこう、いろいろな向き合い方ってあるでしょ??
例えば、「ポケモンを恐れ、近づかないように気を付けながら、(危険な)ポケモンと離れた別の場所で暮らす」というのも、ひとつの「共存」の形であり、それは少なくとも「改善されるべき悪い」暮らしの形ではないですよね?
これは現実世界の動物に関するドキュメンタリー映像からの引用ですが(前にも引用したかもしれない)、ポケモンにも当てはまるのではないかと考えています。
私たちが失った、又は持っていない感覚を持ち
私たちに聞こえない言葉によって生き
彼らは、同類ではありません
彼らは、下っ端でもありません
彼らは、ほかの国家です
出典:Earthlings Japanese Subtitle - YouTube (9:19頃)(閲覧2022年8月13日JST)https://www.youtube.com/watch?v=thFyxG5_V4c
この「ほかの国家」という考え方が好きなんですが、なんか良くないですか?向こうは向こうで文化や生活があって、必ずしも仲良く交流する必要はなく、ただお互いに相手の領地に侵略するのはよくないよね、くらいの距離感のイメージ、めちゃくちゃアリじゃないですか?
親しくする"国家"があってもいいし、関わりを持たない"国家"があってもいいわけです。関係を持たない方がうまくいく"国家"もたくさんあると思います。そのような、距離を取ってこそうまくいく関係性が描かれず、「距離が近くなってよかったね」という話ばかりなのは違和感があるし、考え方が狭すぎるように感じました。
ポケモンを頼る人間が増えるのは良いことか
無料アップデートで追加された内容のなかで、デンボクが「ポケモンを頼る村人も増えておる」と語るシーンがあります。「さらにその先に歩を進めてほしい」と続けて語っていることからも、この「ポケモンを頼る村人が増える」ことは「良いこと」として語られているようです。
正直これはかなり引っかかるし、ゲーフリの考えるポケモンの世界は本当にこれでいいのか??とかなり疑問です。てゆうか、やっぱムリがあると思いますマジで。何度も同じ話をするんですけど…。この方向性だといずれ色々詰むと思うので、ゲームシステム同様大胆なテコ入れをした方がいいと思います。
そもそも「(最近)ポケモンに頼るようになった」ということは、裏を返せば「昔はポケモンに(あまり?)頼らない生活をしていた」ということになると思います。
それってどんな生活だったの?例えば畑を耕すのは?人間の体は畑を耕す形はしてないので、道具(鋤とか)を作ると思います。それと人力だけでずっと畑仕事をしていたんです?
「ポケモンを手名付けて利用する」アイデアってそんなとっぴなもんじゃないでしょ。たとえ恐ろしい存在だとしても、種差や個体差ってあるでしょうし。中には比較的容易に懐柔できるポケモンもいるだろうし、それを見つけるのはそんなに難しいことではないと思いますが…。
一部のポケモンの図鑑説明にあるように、一部のポケモンは長く人間と暮らしているのだと思います。そのようなポケモンが農業などに従事していた可能性はあるのに、サブ任務とかで農業用のポケモンを要求されて、それがヒスイの人々の生活の変化として描かれているのはちょっとどゆこと?と違和感を感じます。
やはり「主人公の登場により、ポケモンをほぼ利用してこなかった人類が、ポケモンを利用する利便性を知り、そのような生き方を選択する」というアルセウスにおける大筋の流れにムリがあるように思います。
「現代」のポケモンとの関係は、完成されていないのでは
今作の舞台「ヒスイ地方」は、過去作の舞台(現代)からみた「過去の世界」です。そのため、「現代」とは異なるポケモンとの関係性が描かれると同時に、「現代」に繋がる(関係性の)変化の兆しが描かれていました。
「社会のルールやシステムの倫理的な進歩」というのは、現実世界でも実際に起こっています。例えば、奴隷制の廃止や女性参政権の実現などは、「よい(正しい)変化だ」と多くの人が思うと思います。
それにならって、昔の世界をより「現代より倫理観に問題がある世界」に描くことにしたというのはまず理解できます。
ただ実際にそのような意図通りに描かれているかというと、正直うまくいってないと思いました。ひとつは、ヒスイの時代におけるポケモンとの関わり方はぶっちゃけそんなに悪くないという点。そしてもうひとつ現代におけるポケモンとの関わり方を過剰に良く評価しすぎという点が問題だと思います。
ひとつめについてですが、この「ポケモンを恐れ、ポケモンと人の生活圏が"分かたれている"世界」、これはこれで「平和」に「共生」しているのでは。人間はポケモンが怖いからむやみに近づかないようにし、ポケモンも自分たちの縄張りに入ってきた場合などを除いてそこまで人間に対して積極的な関わりを持たない、ってこれ結構良い世界じゃないですか??その「ポケモンと人間の生活が分かたれた」状態の、一体何が悪いの??
相手(ポケモン)のことをよく知らずとも、危害を加えないようにするという一点を守っていれば、とりあえずそこそこ「平和な世界」になってない??
もちろん、人間の行動範囲とポケモンの縄張りが被ることはあるわけで、そういう衝突をうまく回避したり対処するのに、ポケモンのことを知った方がいいケースはあると思いますが、そこまでにいたらない場合も多くあると思います。
何より問題だと思うのは、もうひとつの問題点。これも何度も言っていますが、「現代におけるポケモンと人間との関係性は、既に完成されている」かのように描かれているのは無理があると思います。
「差別の問題が無くなり公平公正な世界」なんて、現実世界ではまったく実現していないし、SFなんかでそのような世界を描くのも、かなり難易度が高いと思います。誰もが生まれた社会の影響を受け、何かしらの偏見から自由になることは叶わないと思うので、どれだけ創造力を働かせても「これが完璧な世界だ」というものを描ける日は来ないのではと思います。
別にゲーフリが「ポケモンと人間の共生が完成された世界」を描きたいならそれでいいと思いますが、少なくとも歴代ゲームで描かれた世界はそのようになっていないという印象を受けます。ゲーフリが「平和な世界」を意図した世界観を描いたと仮定して、その意図はゲーフリの無意識の偏見や勉強不足により達成されていないという印象を強く受けます。
ちなみに、ここでいう「平和な世界」とは「悪いヤツのいない世界」などではなく、「あくまで個別に責められるべき悪としての犯罪こそあれ、制度や構造上の不平等や搾取のない世界」を平和な世界と仮定しています。
描写されている範囲から察するに、ポケモンの世界がその平和を実現しているかというと、そのように解釈するのはかなり難しいなという印象です。直近の『剣盾』でさえ、合法ポケモン虐殺システムが存在する余地を残していながら*12、平和な世界を描いているつもりなら、ゲーフリの倫理観に問題があると思います。
ポケモンの世界、ポケモンと人間との関係は模索中、ということにしたほうがいろいろ都合がいいのでは?と思う派です。ゲーフリは本当にこのまま、大半の善良な一般市民はポケモンと平和に暮らしているという前提を固辞し続けるんでしょうか…。
今はまだそれでいいかもしれませんが、いずれ立ち行かなくなるのではということを危惧しています。例えば、物語上の(善人によるギャグ要素としての)セクハラ描写をよくないものとして受け止める人は、昨今(2022年現在)それなりにいると思います。これは、昔はスルーされていた(せざるを得なかった)ものが、問題点の指摘や啓発により、それが問題であると認識する人が増えた結果だと思われます。
同じように、これまでは多くの人が笑って楽しく受け入れていた(とされている)描写が、その問題点の告発により「倫理的に良くない描写」として受け入れる人が増えていく流れが、「ポケモン世界のポケモン(原型)描写」にも及ぶと考えられます。
なぜなら、「(悪として描かれない)セクハラ描写」も「現在の(手段感のぬぐえない)ポケモン描写」も、「性別による不当な扱い」や「非人間生物に対する不当な扱い」といった、社会構造に組み込まれた理不尽という点で共通しているからです。
現実世界で進む道徳的進捗が、(ポケモンの場合は人間中心主義への告発を中心に)ポケモン世界のポケモン描写へ疑問を抱く人間を増やすことになるだろうと思います。そうなった場合、普段ポケモンの話をしないような人から指摘されるケースが多くあるだろうと思いますが、ぶっちゃけそういう"外部"の人間からの批判ってなんとなくムカつくし、素直に耳を傾けるのって難しいですよね…(少なくとも自分はそう)。
なので、できればゲーフリには積極的にこのあたりの勉強をしてほしいし、ファンの中からこの手の話をするインフルエンサーとかが100億人とかいてほしい。指摘されると反論が難しそうな部分は、先手を打って改善したり批判したりして、強気に振る舞いたいよな。自分はそういうつもりで、批判的な視点も持ちたいと考えていたりします。
その他・BDSPとか
いももち
作中で何度も「いももち」が登場するので、いももち食べたくなりました。昔自力で作ったことはあるんですが、芋を潰す作業がかなりだるかった思い出があります。マッシャーとか持ってなくて、フォークで代用していたんですが、いももちのためだけにマッシャーを買うのもなぁという感じです。
あのでBDSP発売したのって…
『ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール(BDSP)』の内容がアレだったのをずっと引きずっているんですが、『アルセウス』のサブ任務攻略に『BDSP』の情報が必要だったということで、そのために無理してあの時期に発売したんか…と悲しい気持ちになりました。
あと『ダイパ』はリマスターで…と思ってましたが、DSの2画面をスイッチで遊ぶのも難しいのかな…。DSゲームのリマスターを遊べるようにするため、ニンテンドーはまた上下2画面のゲーム機を出してください(?)
シンオウを感じるBGM
聞き覚えのあるメロディーが流れると、シンオウ地方との繋がりを感じられてよいし、知らないメロディーだと新鮮味があってよいです。
サントラください…。アクション要素があるから立ち止まってじっくり聞けない…。その場その場で死なないように立ち回るので精一杯なことが多いので…。
BGMだけ聞きたいときはもう普通にYouTubeに頼ります。作業用BGMってやつですね。でもやっぱり公式にお金を払いたい。『剣盾』といい、最近は何でサントラ出さないんです??いくら時間が空いても良いので、サントラだしてほしいです。
あと余談ですが、『PokémonLEGENDSアルセウス』ってなんて略して呼ぶのかいまだに迷います。自分は『アルセウス』というように、『』を使うことで作品名であることを示していますが、口語だと二重括弧は再現できないし…。「レジェアル」とか?公式による略語も見つからないので、う~んという感じです。
おわりに
「アクションRPG」としての新たな挑戦の数々は、おおむねいい感じになっていると思います。アクション要素の追加のみならず、バトルシステムの大胆なテコ入れや、「ジムバトル」のようなセオリーを排除したストーリーなど、「メインシリーズ」の中ではかなり攻めた内容だったと思います。
変更&オミットした部分とは別の、新たに取り入れられた要素も、ポケモンのゲームとしての魅力を十分に理解したものだったと思います。例えば、フィールド上にポケモンを複数出すことができて、さらにフィールド上のポケモンたちは、そのサイズ非が再現されているのがよかったです。デカいポケモンがちゃんとデカいのがかわいい。
ただ正直、グラフィックは他のゲームと比べて見劣りすると思うし、登場ポケモンはごく一部だし、何よりゲーフリのポケモンに関する倫理観の問題が浮き彫りになっているのが辛いです。
あと『アルセウス』を消費するのが早すぎる。ここで初登場したポケモンや人間キャラたちをもっと味わい尽くしてから次に行きたいのに、秒でキャラを消費してすぐに次の濃い味(新作の『SV』)の情報を出してくるの、『アルセウス』があまり大事にされていないように感じます。
「追加有料コンテンツ」に関しては賛否あると思いますが、ひとつのゲームを長く遊ぶシステムとしては有りだと思う派です。新しいゲームをドカドカ出されるよりは、1つのゲームをじわじわ拡張して遊べるようにしてくれる方が好き。
ゲーム自体の総評としては、まあまあの出来だったと思います。普通に楽しく遊べる。ポケモンが存在するフィールドを好きに駆け回れるのは楽しい。
納得のいかない点も多々ありますが、これは今作に限ったことではなく、前々から指摘していたところなので、『アルセウス』に対する大きなマイナス評価には繋がりませんでした。ただやはりゲーフリの倫理観の底がクリアに見えてきてしまい、辛い気持ちが増大したのは許せないかなとも思います。
少なくとも『BDSP』よりは遊ぶ価値があると思います。ポケモンシリーズを何かしら遊んだことがある人なら楽しめると思う。まだ持ってない人はぜひ買ってみてほしいです。
さて、『アルセウス』と同年(2022年)の11月に発売になる『スカーレット・バイオレット(SV)』はどうなることやら…。期待と不安と心配で胸がいっぱいです。
*************
本作と同年の2022年11月に発売し、次の世代(9世代)にあたる『ポケモンスカーレット・バイオレット』をプレイした感想・総括はコチラ
本作発売の前年2021年11月に発売した『BDSP』に関する感想文はコチラ。
〈更新履歴〉
【2022年9月21日JST 更新】「続きを読む」の装飾を加えました。
【2023年9月11日JST】『バイオレット』感想・総括のリンクをはりました。誤字の修正を行ったり文言を整えたりしました。
*1:「ポケモン」の原作は、「ポケットモンスター〇〇」と名の付くゲーム群であり、他のスピンオフゲームなどと区別される。このシリーズの完全新作が発売されると、それが俗に「世代」の区切りとされるなど、「ポケモン」という"コンテンツ"においてかなり重要視されている。
*2:ポケモン公式サイトのゲームソフト一覧で、『ポケットモンスター』シリーズのみ表示するにチェックを入れても『Pokémon LEGENDS アルセウス』は表示されるため、「ポケットモンスターシリーズ」の作品であると判断できる。
*3:初代は例外的に2月発売だったが、それ以外の「ポケットモンスターシリーズ」の発売日は、その大半が秋頃(9月~11月)に集中している。
*4:リストラへの抗議のハッシュタグ#Bring Back National Dexが使われ、多くの人がこのリストラを批判していた。
*5:この動画(The Turning Point - YouTube)の2:20辺りに出てくる人
*6:出典:本当の豚の習性を知ってる?本来の豚の生態を知ろう| 畜産動物たちに希望を Hope For Animals|鶏、豚、牛などのアニマルウェルフェア、ヴィーガンの情報サイト(閲覧2022年6月30日JST)https://www.hopeforanimals.org/pig/405/
*7:『ソードシールドエキスパンションパス』の「冠の雪原」に登場するバドレックスは、ストーリーの中でよく喋っていた。
*8:ユクシー・エムリット・アグノムを総称する言葉。ファンの間で一般的に流布されている言葉だが、増田順一氏もブログ(第70回)で「UMAコンビ」という言葉を使っている。
*9:>本作に登場するデンボクは、『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』に登場するナナカマド博士の先祖にあたる。本作には、他にも誰かの先祖にあたる人物が登場するようだ。
出典:『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』の世界との繋がり | 『Pokémon LEGENDS アルセウス』公式サイト(閲覧2022年7月6日JST)https://www.pokemon.co.jp/ex/legends_arceus/ja/story/210818_04/
*10:早期購入特典の画像を見れば明らかだが、主人公の"性別"によって、似たような服装にも関わらずデザインが微妙に異なっている。
出典:(閲覧2022年8月20日JST)https://www.pokemon.co.jp/ex/legends_arceus/ja/lineup/210818_02/【魚拓】
*11:団を私物化しているケースもあるが、ストーリー上では主人公VS組織で物語は進んでいた。
*12:ポケモンキャンプのカレーの具材にハンバーグやソーセージがあるが、その原材料が何なのかということについては言及されていない。きのみなどの植物由来であることを示せば良いのに、わざわざそうすることを避けている。動物性(ポケモン由来)の可能性があるということはつまり、工場式畜産(ポケ産?)が存在する可能性があるということであり、そのような産業があるということはつまるところ、合法かつ計画的にポケモンを生み出し殺す機関の存在が示唆されている。