記念すべき20作目!劇場版ポケットモンスター『キミにきめた!』の感想です。ストーリー等のネタバレを多分に含みます。現時点で3回鑑賞しました。セリフなど、間違えて覚えている可能性がありますがご容赦ください。
まず、全体的には良かったと思います。サトシとピカチュウを中心にして、他のキャラクターも含め、ひとつの映画としてまとまっていたように思います。また、長年のファン向け要素も数多くあり、普通に観ていて楽しかったです。まさに20作目!という記念と節目にぴったりな作品だったと思います。
公開前の印象では、「いったいどんな話??何をやるんだ??」といった感じでした。
情報公開当初の印象・感想↓
当初の不安だった「子供向け要素」については、オリキャラがメインだったりしたため、公開前の時点で自分の中ではまあまあ解消していました。ただ、予告映像が公開されても、どんな内容かイメージが湧かない……。第1話っぽいシーン(少しずつ違う所がある)が結構あって、でもって「その続き」と言われてたり……(1話の続きは2話だろうと……)。
でも実際観てなるほどなぁと思ったのは、「1話の続きの物語」とは、「2話以降の20年間すべて」を指していたんだなぁと思いました。
世界観についてですが、あれは完全にこれまでのアニポケや映画とも切り離された次元でしたね。しかも夢オチ等ではなく、あれはあれとして始まり、終わったのはよかったと思います。「集大成・パラレルワールド」みたいな新たな時空を創造し、ポケモンを知らない人も、昔は見ていた人も、何となく知っている人も、詳しい人も、同じスタートラインから、この集大成ワールドに足を踏み入れることができる。20作目という節目だからこそできた、大きな挑戦だったと思います。自分は、このパラレル感はちょうどいい塩梅だったと思います、オリキャラの扱いなども含めて。あのくらい思い切ってくれてよかった。
あの世界そのものは、なんというか、どこまでも「サトシとピカチュウ」のために生まれた世界なんだなぁという印象でした。終盤で、サトシが消えるシーンが特に。映画第1作『ミュウツーの逆襲』では、終盤で石になりましたが、これは現実的(?)な死の表現でした。でも、今回の「キラキラ粒子になって消える」というのはどこまでもファンタジー……。このシーンで、この映画は、彼らの冒険と絆を再確認するための世界だったのか……と思いました。そう考えると、キラキラ粒子になるのも、どことなくTVアニポケに擦る世界観も納得……。
「1話の続きの物語」ということについて。あの超短縮第1話から、エンディングまでの内容で、TVポケモンアニメの様々な要素が詰め込まれていたと思います。ポケモンとの出会いと別れ、進化を経験し、また仲間やライバルと出会い、別れる。そのすべてが、過去の要素を彷彿とさせる新しい話によって描かれている。当初は、第1話の映像がメインだったため、無印(AG編になるまでの、カスミがヒロインだった時期)を軸に展開されるのかなと思っていました。でも、実際には、無印の話を元にしていることは多いものの、無印以外の要素もちょくちょく見受けられたため、そこから、これは20年間すべての表現だったのか、と感じました
第1話を端折りながら再現した物語冒頭部分について。
『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』はテレビシリーズ第1話からのパラレルワールド
湯山監督「テレビアニメの初回でサトシとピカチュウがホウオウを見た時、虹色の羽根は落ちてきていないんです。今回の劇場版でホウオウの羽根が落ちてきたところからパラレルワールドに入って行きます。羽が落ちてきた世界と落ちてこなかった世界に分かれていく。落ちてこなかった世界でまだ見ぬポケモンとの出会いを求め、冒険を続けているのが、いまも続いているテレビシリーズです」。
ポケモン映画20周年記念作をより楽しむ7つのトリビア | ORICON NEWS(http://www.oricon.co.jp/news/2094540/full/)
湯山監督はこのように言っていますが、個人的にはそうは感じませんでした。「第1話の続き、ホウオウの羽根が落ちてきたところから」ではなく、「映画冒頭最初の最初から」パラレルワールドだろうと思いました。メタ視点的に、尺の都合上省略したんだろうとは思いますが、ただ、内容を短くしただけではない変更点もあったと思います。
そもそもですが、アニポケ第1話への思い入れが強いため、ピカチュウの表情が当時と少し違うだけでも違和感を覚えてしまうところはあります。あと、絵柄が違うだけでも、どうしても受け止め方が変わってしまいます。個人的に。また、いわゆる解釈違い(後述)も発生しました。小ネタ(後述)があるのも、パラレル故にだと思います。この辺りの差から、第1話部分もすべてパラレルワールドであってほしいと思っています。
キャラクターのセリフや展開が端折られることについては、致し方ないことだと思いますし、それほど気になりませんでした。ただ、「ピカチュウの反応や表情」について、アニポケ第1話との差が引っかかります。
オーキド研究所でのピカチュウ(の表情や仕草の差)は、このくらいはしょうがないかな……と思ってました。しかし、問題はオニスズメと対峙したシーンの終わり。アニポケ第1話における、最後のシーンです。ピカチュウの電撃でオニスズメを追い払い、気絶したのち、目が覚めたところ。目が覚めたサトシとピカチュウが地面に倒れたま向かい合った時のピカチュウの表情。TVアニポケの時は、疲れ果て、開ききらない目で、かすかにほほえむような口元で、力なくうなずくピカチュウの表情が印象的でした。それに対し今回の映画では、まっすぐな瞳でサトシに笑いかけるピカチュウがそこに……!しかもその後、元気にサトシの肩に乗って仲良くしている!どういうことですか!?
「オニスズメを追い払った直後にも関わらず、サトシを信頼し、サトシの肩に乗り笑顔を見せるピカチュウ」って完全にパラレルですね。ここで一気にアニポケ数年分消費したな。「ホウオウの羽根が落ちてきたところからパラレルワールドに入って行きます。」という湯山監督の言葉は、「ホウオウの羽根が落ちてきたその瞬間その辺りからパラレルワールド」だと思えば、その可能性もあるのかも???
「信頼し合うサトシとピカチュウ」は、第1話の対オニスズメではなく、そこからの幾多の冒険によって、少しずつ築かれていったものだと思います。あの時点で「俺たち仲良し!」というお馴染みの格好(サトシの肩に乗るピカチュウ)になるのは、違うと思います。その後、ホウオウを巡る冒険までにバッジを3つGETしているのなら尚更、あそこで「仲良し」な姿を出す意味が分からない。バッジを3つGETする中で段々と信頼が深まっていき……!ということで良かったのでは?
また、ちょっと余談気味ですが、「映画での第1話モドキ」が「TVアニポケの第1話」からのパラレルであると言うことは、そこで示されるファン向けの小ネタからも裏付けることができると思います。
— 一石 小百合 (@sayuri_ichiishi) 2017年7月23日
※上記は、後にゼニガメは誤り(ゼニガメをもらったのはシゲル)だと修正されてます
色を変えてますが、XYの彼です。
— 一石 小百合 (@sayuri_ichiishi) 2017年7月24日
ちょっとわかりづらいですね。 https://t.co/u1S9Kdv20N
服の模様も省略されてたかな。f^_^; https://t.co/haXlRMhFz4
— 一石 小百合 (@sayuri_ichiishi) 2017年7月24日
マサラタウン旅立ちの4人のうち、未登場の2人に過去キャラの面影があるのは、パラレルだからこそでは?この劇場版はやはり、頭のてっぺんからつま先まで、すべてパラレルワールドとみるのが妥当ではないかと思います。
一緒に旅をする映画オリキャラ(マコトとソウジ)ですが、これは公開当初から賛否があったのではないかと思います(なぜカスミとタケシではないのかと)。自分は予告の時点から、オリキャラでいいんじゃないかと思っている派でした。予告の映像が第1話のようで第1話ではなかったため、既存のキャラが出て、そのキャラも、ぽいけど違う!誰だお前は!!となるよりは、オリキャラでいいだろうと。映画を観た感想としては、これはオリキャラでないと……という印象になりました。
内容が、前述したように、無印編だけでなく、過去20年全体をまとめていたことと、同じことを言いますが、変に過去キャラを映画に合わせて設定をいじったりキャラ変をされるより、オリキャラで自由にキャラを組み立ててもらえてよかったと思います。
マコトは、元気で活発な感じがよかったです。エンテイを見つけて、サトシと競うように走るシーンが好きです。マコトは旅の仲間ではありますが、同時に、サトシと同じ土俵で競い、笑いあう系のライバルのようにも感じました(無印のヒロシ、AGだとマサムネとか?)。歴代ヒロインだと、アイリスが一番近いのかなと思います。
基本的には、新たなキャラクターとサトシのやりととして楽しく観ていましたが、マコトが、スマホ的な機械で写真を見返しているシーン。あそこはなんとも言えない複雑な気持ちになりました……。自分たちの知ってるサトシが、サトシのはずなのに別の次元で思い出を積み重ねている……楽しそうなサトシ達……誰も知らないサトシがここに……という気持ち……。あのシーンで、自分が思っていたより映画サトシは遠いところにいるんだ……と感じました。
マコトの母親がチラッと映りましたが、「強いトレーナー」ということと、ビジュアル(髪型)がどことなくシロナに似てるような気が……?。でも他の点(エンペルトがいたこと等)は関係ないし、アレ他人のそら似、フェイク、またはファンサービスかなぁと感じました。
ソウジくんもよかったですね。ポケモン博士を目指しており、ポケモンバトルで分析・解析をする「知」の面があったり、バトルはルカリオと共にそこそこの実力が見て取れたり、レントラーの話から、ポケモンを大切にしている様子が感じられたり。少し上から目線で偉そうな態度を取りながらも、サトシのことを認めてくれてそうなところとか。
ソウジのレントラーの話はよかったと思います。最初観ていて、おぉ…そんなにはっきり描くとは……すげぇなあ……と思いました。アニポケサン&ムーンでも、ムーランドの死を扱いました(SM21話『ニャビー、旅立ちの時!』)が、今回の映画で、はっきりとレントラーの死んだ姿を映したのには驚きました。これは、映画ならではの挑戦、という印象。このような、タブーを打ち破る一線の越え方は良いと思います。ポケモンの生き物としての面を描くことにより、ポケモンらしさ、ポケモンとは?我々人間と同じ次元に、時空間を共にする「生き物」なのだ、ということが伝わったのではないかと思います。
クロスくん、予告映像の時点ではそんなに出番もなく、あぁ、ライバルキャラもいるのね……くらいな認識でした。でもストーリーではそこそこ活躍しましたね。クロスくん思ったよりいいキャラしてたじゃん……と思いました。特に終盤、マーシャドーがポケモン達を操ってたあたりで、クロスのルガルガンも操られ、ストーンエッジ(?)で攻撃しようとしていたところに、クロスがタックルしてルガルガンを制止したシーンが好きです。テンション上がった。その後の台詞や一連の流れから、クロスがルガルガンをパートナーとして、長く一緒にいたのがわかります。正気を取り戻したルガルガンと共に味方になってくれるライバルというのはアツい展開(ちょろい)。ずっとサトシと反発してたクロスが、ここで味方になったのは、ルガルガンのことを大切に思っていてルガルガンとの絆を再認識したからかなぁと。対戦相手には厳しいけど、自分のポケモンには優しさがちゃんとあるというのは良いですね。
操られたルガルガンの攻撃から、リザードンが助けに入ったところで、そういや元々のトレーナーはお前だったか、と思い出しました。ここでのリザードンは、クロスが昔のトレーナーだったから助けたというよりも、誰かが傷つくのを嫌がる優しさから助けたんだろうと思う派です。そのトレーナーと過ごした過去があろうと、自分(ヒトカゲ)を傷つけた相手なんだから、恩義や絆を持ち続ける必要はない。むしろ、元トレーナーだからということでの繋がりを根拠に助けるようなことはあってほしくないと思います。
ロケット団、出演はさせてもらえていたものの、イマイチ活躍しなかったなぁという印象。何度も「やなかんじ~!」と飛ばされるボケ担当。マーシャドーがポケモンを操って攻撃をしかけてきたシーンでひっそりとサトシの援護をするなど、活躍できそうな場面はあったと思いますが……。時間の都合等でできなかったのか?(メタ視点)。終盤のどこかで「いいかんじ~!」と言ってもらいたかった、「やなかんじ」で終わったのはちょっと後味が悪いかな…と。
ボンジイやロケット団が、どちらもサトシ達「子供」に対する「大人」として描かれているなぁと感じました。ボンジイの台詞全体や、ホウオウの羽根を見て「少年時代の輝き、眩しすぎる」、ロケット団の「少年じゃない」等。ボンジイもロケット団も、今作ではあまり活躍の場がありませんでしたが、その「大人」側にいたから、活躍させてもらえなかったのではないかと思いました。あくまで冒険の主体は「子供」であり、「大人」はそれを懐かしむことしかできない……みたいな??
あと、昔っから散々言われてると思いますが、ゲスト声優タレント起用システムは消えてほしいです。
虹の勇者になれる!みたいなことを言われてましたが、結局最後まで虹の勇者が何なのか、言及されることはありませんでした。まぁ、せやろな……という感じ。虹の勇者になったから具体的に何がどうなる、という展開や話は最初からないんだろうと思います。サトシの夢、”ポケモンマスター”と同様に、どこまでも曖昧な肩書きのまま。その曖昧さは好きです。マコトに「ポケモンマスターって何?」と聞かれた時も曖昧な答えしか出せなかったのと同じ。
小学校で書かせるような、子供に問う「将来の夢」は、基本的に職業や職種を書くことが期待されている。でも具体的な夢には、それを叶えたり追い続けるのがとても難しいと大人は否定的な感情を持ってしまう。サトシの夢は、具体的でないからこそ、夢として語ることができ、大人側も否定することができないのが魅力的なのかな?「子供は夢を持つべき」という社会思想は苦手だけどサトシがポケモンマスターの夢を語るのは嫌いじゃないので。
カントーのポケモンばかりが周辺モブポケモンとして出てきて、他の地方のポケモンが極一部しか出て来なかったのは、印象に残りました。カ、カントーのポケモンしかいねぇ!どこもかしこも!映画全体が20年を表しているようなら、カントー以外の地方のポケモンがもっと出てもよかったのでは?っと思ったけど、よくよく考えてみれば、サトシが今回冒険した地方がカントーだったのかなぁと。テンセイ山もきっとカントーのどこかにあるんでしょう(?)。にしても、ゲームのリメイク版だと、野生にカントー外出身のポケモンがいる場合があるので、初代(ゲームボーイの赤緑青ピカチュウ)の時代、アニポケだったら無印時代が舞台としては採用されたのかな……。観に来るポケモン世代(ポケモンから離れていた勢)向け、またはポケモンGOでの知識ならある人向けに、彼らが知ってるポケモンを多く出した可能性も?(メタ視点)
2016年にゲーム「サン・ムーン」が出て、TVアニポケも「サン&ムーン」をやっている2017年に、サンムーン(7世代)のポケモンがほとんど出てこないというのは、如何なものかと思いました。
公式のイラストコンテストでも、7世代のポケモンを描いているイラストが散見されます。
イラストコンテスト結果発表|ポケモン映画公式サイト「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」よりスクショ(http://www.pokemon-movie.jp/illust_contest_result/ciao/)(2017/08/12)
イラストコンテスト結果発表|ポケモン映画公式サイト「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」よりスクショ(http://www.pokemon-movie.jp/illust_contest_result/s1nensei/)(2017/08/12)
このイラコンの結果を見ていて、今の子供達にとって一番親しみのあるポケモンは、7世代のポケモンなんだなぁと感じました。そりゃそうだよな、20年前は産まれてないし、ポケGOだってメインユーザーは自分のスマホがある大人達。今の子供達のスマホ所持率は知らないけど、大人ほど持ってる人はいないだろうし。映画自体は、20年前を知らなくても楽しめるけど、もし今年初めてポケモン映画を観るような子がいたら、知ってる7世代のポケモンがほとんど出てこなくて寂しい気持ちになったんじゃないかなぁと余計な心配をしています。直接子供達から何か感想を聞いたわけではないので想像でモノを言ってます。
「冒険」というのが、作品全体の大きなキーワードになっているのではないかと思いました。ホウオウに会うために「旅」をしていることや、サトシがケンカ別れをしてマーシャドーに悪夢を見せられるところなど。この白黒悪夢世界は、(学校という狭い世界で生きている)子供達への、もっと広い世界への好奇心を奮い立たせているようで、昔のポケモンを思い出させる内容だなあと思いました。昔の短編映画の主題歌のような、「好奇心への呼び掛け」な感じが。マーシャドーが見せた白黒世界でサトシ達が見ていた屋上からの景色が、ポケモンの世界観ではなく、田んぼや畑が広がり家々の点在し、山が遠くの方に見えるような現実世界を模した空間だったのにはびっくりしました。突然リアルワールドが!?サトシは夢や空想でもこんな景色を見ることはないのでは??「ポケモンの世界(2次元)」から「我々の現実世界(3次元)」へ、いきなり接近してきたようで、不気味に感じました。でもこれも、「冒険は君たちのすぐそばに!!」みたいなモンなのかなと。TVアニポケではできない、直接的な表現だなあと思いました。
BGMも、とても印象に残りました。主にアニポケ無印で使用していた曲が多かったのではないかと思います。逆にAG編の曲が流れたときにアレ?無印じゃない……となった。無印好きとしても、曲を聴いただけで無印アニポケを思い出します。この曲はあの話のあそこで流れてた曲だったかな~などをずっと考えてました。無印の曲は、無印以降のTVアニポケでも使われてましたが、今回の映画のように、初代風のサトシと初代風のポケモン世界(カントーポケモンばっかり)と初代風のお話(オマージュ)と共に流れると、あぁ初代……無印……といった何とも言えない懐かしさに囚われます。
いつの日か、過去のアニポケや映画のサントラをそのままベストコレクションみたいに出してほしいなぁと思いました。昔の映画・アニメのサントラも聴きたい。中古ではなく新品で買いたい。もちろん今年の映画のサントラも買いました。が、予約のタイミングが遅かったからか、初回版ではなく通常版が届いて絶望しました。もっと早く予約してれば良かった…。
マーシャドー、予告や宣伝の段階から、新ポケモンなのにあんまりプッシュされてないなぁと思ってましたが、映画でも活躍は最後の方だけでした。サトシ達と交流しない系幻ポケモン。今回はサトシとピカチュウの交流(絆)がメインなので、しょうがないかなぁ。そのポケモンの特徴をいかに上手く料理して話に組み込むのではなく、やりたい話があって、そこにポケモンを配役していく手法は、ポケモン映画では昔からやってるお馴染みの方法ですね。
マーシャドーは、ゴースト・かくとうタイプということで、その「かくとうタイプ」要素が発揮されてたところが好きです。2頭身のマスコット系ポケモンながら、手足を使って攻撃する様子は新鮮に映りました。特に、足蹴りしてるのが好き。もっといっぱいアクションしてもよかったんですよ??
小さめのポケモンが手足で攻撃することが少ないのは、その体格故に、パワーが感じられないからだと思います。逆に、一見弱そうな見た目の攻撃から、圧倒的なパワーを見せられると興奮しますね!映画を観ていても、マーシャドーかっこいいじゃん!!となりました。小さな体と強さのギャップがたまらない……。
マーシャドーの劇中での役割は……どうなんでしょう……。なんか、サトシに対し、乗り越える壁や試練を与えるのが主な役割だったのかなぁと思いますが。導いたり蹴落としたりで色々やったなぁという印象ですが、あんまり深く考えられてないので……。白黒疑似リアルワールドの悪夢を見せるシーンにはダークライみを感じました(悪夢的な)。
ホウオウは、これまで映画にもアニポケにも決してメインとして活躍したことはありませんでした。説明とかで若干映ったり(エンジュの回とか)、オープニングではちょくちょく出番もあったかな??ずっと放置されてきた(?)ホウオウさんがついにやっとこスクリーンで活躍か!?っと思ってましたが……。ホウオウ自体の出番は少なっ……。序盤と終盤のみで、サトシ達と何か交流することはありませんでした。まぁバトル=交流みたいな見方もありますが。今回も大した出演時間が与えられなかったホウオウさん。個人的には、変に交流してキャラ付けされたり喋られるよりも、いっそこのまま、やっぱりホウオウは伝説…!的な存在のままでもいいのかなぁと思いました。
大人ファン向けに、懐かしい要素や小ネタなどのサービスがいっぱいあったなぁと感じました。冒頭のバトルシーン、あれは映画第1作『ミュウツーの逆襲』に出てきたスイートとソラオですね。カメックスのクスクスとフシギバナのバナード(それぞれ映画のキャラがカメックスとフシギバナに付けてたニックネーム)が……!ゲンガーが出てきたのは、アニポケ第1話のバトルのオマージュかな??ソラオの手持ちにゲンガーはいなかったので(ミュウツー時点での手持ち:ピジョット・ストライク・サワムラー・サンドパン・サイホーン・フシギバナ)。あとこのバトルのナレーションも、アニポケ第1話と同じっぽい?(たぶん)。
TVアニポケでは、マサラタウンを旅立った4人の内、サトシとシゲル以外の2人は途中から一切話題に出てこなくなりましたが、今回まさかのビジュアルの一部が見れた!姿が映るのは初めてでは??それぞれ女性と男性のようでしたが、モデルになったキャラはいるのだろうか……と思ってたら公式関係者がツイートしてました。既に、該当のツイートは、当記事上部に貼り付けてますが一応もう一度。一石さんのツイートから、『さよならコダック!またきてゴルダック?』(無印・オレンジ諸島編93話※)のツバキと、XY(&Z)で登場したティエルノがデザインのモデルのよう。※話数はAmazonプライム参照です。こういうところで過去シリーズを少しずつ意識しているのは、長年のファン向けだなあと。言われればなるほど!となるし。(言われないと分からなかった雑魚で悲しい……)
他にも、川を渡るときにマコトがラプラスを出したのは、オレンジ諸島編を意識してるんだろうなあとか、ヒトカゲの話は『はぐれポケモン ヒトカゲ』(無印・カントー11話)、バタフリーの話は『バイバイバタフリー』(無印・カントー21話)を元にしてるし……とかホントに色々……。
そういえば、サトシの旅立ちの日が「サトシの誕生日」ということですが、この情報は、今年の映画関連より前に出たことってあったかな??前売券特典のオリジナルキャップを受け取る時のゲーム画面のコメント等で見てびっくりしたんですけど……初耳……。もし過去のアニポケ等で出ている情報だったらスミマセン……💦
ちなみに、小説(『ポケットモンスター The AnimationVol.1』)における情報では、少なくとも誕生日ではないです。「十歳の誕生日を迎えた次の年の4月」にポケモンの免許が取れるようなことが書いてあります。なお、この小説はかなりオリジナリティが強いため、設定情報としては参考にはならないので超余談です。
エピローグが、この映画の中で、個人的に最も感極まったところでした。お馴染みのナレーションと、過去の映画で舞台になった場所が次々と映されていく……そしてエンディング!歴代旅の仲間が出てきたとき、そうかこれは約20年続いているポケモンのアニメなんだ!と改めて思いました。
エンディング序盤では、画面左右半分のスペースにて、キャラクターが1人ないし2人ずつ登場しました。このキャラクターか映る背景、水玉模様のようで、それぞれのキャラクターと関連深いアイコンが混ざっていて好きです。ほとんどの表情が、きょとんと↓感じなのは何ででしょう??きょとんの後に、笑顔になってサトシの名前を呼びそうな雰囲気は感じました。(あまり考えが及ばない)
ピカチュウの表情が印象的なシーンがありました。サトシがキラキラ粒子で消えて、帽子だけが落ちてきて、ピカチュウが帽子を抱きしめて泣くシーン、泣かせにきてるなぁと思いました。……そういうのは止めてほしかった……。感情を露にして泣くピカチュウなんてピカチュウじゃない……。なんていうか、擬人化されすぎだと思います。見た目だけ人間ではないけど、その動きが、人間が中に入ってるか、映像技術で造り上げでもしたのか??みたいな。ポケモンとは関係ないTVCMでも、動物を、本来その動物はそんな動きできないだろう、という動作をその持ってる動物にさせているようなのがありましたが、あれも苦手です。違和感と不自然さが気色悪い……。ああいうCMと同じ雰囲気を、この泣くピカチュウから感じました。ポケモンには豊かな感情を表現してほしくない……。ポケモンの魅力は、"人間とは違う"というところにあるのだと思います。
「あなたもパパも行ったら行ったっきり」……パパはハナコ(サトシのママ)のもう一人の息子じゃないぞ??なぜサトシのパパは出てこないのか……現時点で分かる情報から察するに、サトシのパパは相当なグズですね。子供がいるのに帰ってこない、「旅に出た」といえばそうか……となるけど、要は逃げてるのでは??「親」という立場になっておきながらその責務をハナコにだけ押し付けてるじゃん……。サトシのパパが出てこないのは、あまりに設定がグズ過ぎるからでは?と思いました(他にも考えられるところはあると思うので要検討)。
サトシのパパについては、小説『ポケットモンスター The Animation』にて詳しく描写されています(サトシの誕生日の話でも触れた小説です)。ただ、オリジナリティがめちゃくちゃ強いのと、読めば読むほどサトシのパパのグズポイントが加算されていくのであまりオススメはしないです。
物語終盤、ピカチュウが言葉を話す……!?シーン。あれはその、俗に言う地雷というやつでした。ポケモン(アニポケ)にはやってほしくなかったやつ………(;_;)。あまりの衝撃にあの後のシーンの記憶が若干飛びました。あのシーンへの感想は、一言で表すと「それは見たくなかった」です。
ピカチュウの声を演じている大谷さんの解釈(映画パンフレットより)では、あれは「サトシにはそう感じられた」ということで、まぁ自分もあれはサトシの主観によるイマジナリーピカチュウだとは思いますが、そうだとしてもダメです。アニポケや映画では、昔っから言葉を話すポケモンというのはよく出てきます。正直ポケモンには言葉を話してほしくない派なのでアレも苦手なんですが、それでも過去のアニポケや映画に出てくる喋るポケモンは一応許せる範囲でした。なにせ喋れるポケモンは、最初から喋れるポケモンとして登場してます。それにより、「喋るポケモン」と「喋らないポケモン」を明確に区別して、受け止めることができました。ですが、今回の「サトシのピカチュウ」は、初登場時から「喋らないポケモン」として一貫しています。(当初はいずれ喋らせる予定だったという話もあるが:『ポケモンストーリー』)そのピカチュウが「人間の言葉で意志疎通をはかる姿」は、どう解釈してもありえませんムリです😵。(サトシの)ピカチュウは、どこまでも「人間の言葉」での意志表示が「できるかわからない」存在であるべきです。また、「ピカチュウが喋る姿/形」で描写されたのが何よりダメでした。
サトシ「ピカチュウは俺と一緒にいたいんだよな?」
ピカチュウ「ピカ!(肯定な返事)」
→アニメではよくあるパターン。
ニャース「ピカチュウは『いつも一緒にいたい』って言ってるニャ」
→こういうのもアニメでお馴染み。
ピカチュウの声に被せたナレーション「いつも一緒にいたいから」
→OVAでこのパターンがありました。正直これも苦手ですが、まあぎりぎりスルーできる範囲。
ピカチュウ「いつも…いっしょに…いたいから…」
→OUT!!!!
たとえアレが100%サトシの妄想だとしても、それを実際の映像として流すのはアウト。せめて無音とか、雰囲気だけにしてほしかった……。「もしピカチュウが言葉を話せたら」という可能性は存在してはいけないんです。それを表現してしまうと、サトシとピカチュウの関係が崩れます。「ピカチュウの気持ち」なんて真面目に考え出したら終わりですよ???
「もしポケモンが話せたら」は人間側が勝手に考え、想像する世界であるべきで、その映像化は言語道断。人の言葉を話すサトシのピカチュウなんて……気持ち悪いだけ…🙀🎀。彼らは喋らないからこそ、人間にとって都合のいい「手持ちポケモン」でいられるんです。ポケモンと「友達」「仲良く」「絆」みたいなのもまたしかり。
ともあれ、地雷を踏まれた怒りは収まらないものの、映画全体としてはやはり自分らのような長年の大人ファン向けで面白かったです。観ている中で喋りたいことが山のように出てくる。Blu-rayが出たら絶対買います。楽しみ。今度こそ、早めに予約して、サントラの時のように後悔することのないよう……。
個人的に、ピカチュウは、あの羽根を手に持つのではなく、くわえた方がポケモンっぽくて可愛いよなと思います。
……最後にちょっと、映画とは関係ない話。
これまでの文章の中で、湯山監督や大谷育江さんのコメントに対し、「そうは思わない」と書いていました。これについて、少し補足します。
感想や考察を述べる時、「作品」と「製作者」はきっちり分けて考える、ひとつの”作品/物語そのものから受け取れる情報”のみから思考を派生させていく立場を考えています。
「製作者」の言葉は、「作品」とは一歩離れた概念であるべきです。伝えたいこと、内容はすべて作品内に収めるべきであり、インタビュー等はあくまで後付け。それを知らないからといって、作品への理解が劣っているとされることはあってはならないハズです。製作者の言葉は、あくまで「その人の発言/意見」で、そこで語られる内容は、絶対ではないし、それに反対や矛盾する意見も、当然あって然るべきです。もちろん、製作者の言葉に「なるほど」と思い、共感すれば、そのままそれを自分の中に吸収し、考えを更新していくのもアリだと思います。
自分自身、「作品のみから得られる情報」と「それ以外の情報」をゴッチャにしてしまうことが多かったです。今も気を付けてはいるものの、つい混同してしまっていることはあると思います。「公式関係者の発言やインタビューをまったく知らなくても、作品について感想や考察を述べてもいいんだよ」と思えるようになったのは、わりと最近。作品外の情報は、読んだり聞いたりするのも好きだし、できるだけ多く知りたい欲もありますが、それを知らないからといって、何か劣っている、不足していると考えることがないように心がけていきたいと思います(自分への戒め的)。